仙丈岳献花山行詳細報告

先発隊行程軌跡



藤田行潔ケルン詳細地図



  13期藤田行潔 妻淳子 です。

献花山行に行ってきました。 稲葉さん、園部さんにきっちりとサポートして いたただき 年末 主人が歩いたルートで主人が倒れた現場に行く事ができました。
川の水の音に 下界をシャットアウトされ、倒木に苔が生えた幻想的な樹林帯を ゆっくりゆっくり行きました。
足音と鳥の声、風の音、静かで心穏やか になりま した。 年末は、その世界に 白い雪が積もっていたとの事で 想像するだけでも気 が遠くなりそうでした。 主人の見た風景は、本当に優しく主人を迎えてくれ て、主人の気持ちを全ての事から解放してくれたと 感じました。 穏やかな気持 ちで 人生の最期を迎えられたと確信しました。

前方に 仙丈岳、藪沢の大 滝が見え、後方に、甲斐駒 鋸岳がそびえている場所にケルンを積んでいただき、主 人が歩いた最期の山行を終らせる事ができました。 そして、その先は、主人が歩 きたかった道をたどる事になりました。 主人が登りたかった仙丈はどんなと ころだろう、できれば、今年の雪の仙丈を見たいと思っていました。 季節が移っ て、仙丈の雪が解ける時、主人の思いも一緒に仙丈の 山肌に染みこんでいって欲し いと思いました。

太陽の陽があたって眩しい白い雪、北から吹いてくる心地良い、少し冷たい 風、南から吹いて来るあたたかい風、はい松の香り、カールを飛びかうつばめ、36 0°のパノラマ、雪解けで染み出ている水、素晴らしい大きな山々は、穏やかに迎え てくれました。  厳しい季節はもっと緊張した風景であっただろうし、別世界で あっただろう。それでも、自分の足で登りたい緊張のある仙丈、だからこそ登りた かったのだろう。

  ゆっくりした時間の流れの中で、主人のことを考えられ ました。とても貴重な時間でした。   稲葉さん、園部さん、本当に有難うござい ました。   お世話になった長衛荘のご主人様、皆様にもお会いできて御礼を伝え る事ができました。

 山本さん、赤羽さん、主人の好きな色の花(紫のスターチ ス、シンピジウム、ストック、かすみ草、etc)を2000mまで運び上げていただき 有難うございました。
そして、FACの方々には、ご迷惑とご心配ばかりかけて申し 訳ありません。  感謝します。


【先発隊行動記録】稲葉@22期
4月28日
19:20 夕方集合、藤田家発
23:20 伊那のビジネスホテル着

4月29日(快晴)
06:30 ビジネスホテル発。
08:20 戸台河原駐車場発
11:30 赤河原着
13:20 藤田行潔さん終焉の地着

北緯35度44分33.9秒 東経138度12分31.7秒 (東京測地系基準)

息を引き取られた登山道のすぐ横にケルンを構築。
静かな樹林帯のはずれで、日の差し込む明るい小平地。
正面に藪沢の大滝、はるかに仙丈岳を望むことができる美しい場所です。

16:00 北沢峠の小屋着。小屋の管理人さんにお礼の挨拶。
宿泊客はわれわれ以外に4名のみ。
20:00 管理人さんからお酒の差し入れも頂き、たっぷり飲んで就寝

4月30日(快晴)
仙丈岳登山。藤田淳子さんは体力、気力とも十分で、 アイゼンをつけての急な雪面も危なげなく登頂しました。

05:00起床
06:00出発
10:00小仙丈
11:20−12:00 仙丈岳頂上
14:50 北沢小屋
荷物を小屋の前において後発隊を迎えに大平小屋まで下山
16:00ごろ後発隊と合流。

5月1日(快晴)
06:30 5名で北沢峠を出発。
07:00 藤田ケルンに到着。献花
08:30 後発隊と分かれ、バス停へ向かう
09:40 歌宿着 
10:15 バス発
      仙流荘で汗を流し、村役場に挨拶の後、高遠経由で茅野へ出る
14:30 小淵沢駅で解散。


【後発隊行動記録】山本@17期
様々な意味で、小生にとり「忘れ得ぬ山行」となりました。

淳子さん、お疲れさまでした。貴方は可憐なピアニストでありますが、誠に強い山女でもあります。
屈強の2人にサポートされたといえ、あのルートコンデションにあの時間で仙丈ヶ岳を往復したとは驚きです。

稲葉さん・園部さんの最強OBに、ただただ感謝です(疲労困憊の身で大平小屋まで出迎えてくれ、ザックまで担いでもらい本当にスマン)。
赤羽OB、昔と変わらぬニコニコ・蕭々の山の友よ、愉快な山行を有り難う。

淳子さん、稲葉OBが藤田OB終焉の場所を書いていますが、上伊奈教育会編纂「仙丈ヶ岳登山案内」(仙流荘バス停売店で¥650)に、まさにその場所が記載されていますので、G八丁坂頭(1740m)〜H大平小屋(1960m)の項から抜粋してみます。


『・・・八丁坂はこれまで歩いてきた砂と石だけの川原と違って、緑色の植物の世界です。・・・胸突の頭から大平小屋までは、ほとんど平らといっていい緩やかな登りです。登山道はシラビソやコメツガ、トウヒの原生林です。倒木はコケむし、その上にハート型の葉と白い4弁花をもつマイヅルソウや、コミヤカタバミの白い花が咲いています。・・・途中で藪沢の大滝が見えるところがあります。滝の向こうに見える一番高くみえるのが仙丈ヶ岳の尾根で、左側が小仙丈ヶ岳(2,855m)です。尾根の右の二つのこぶは仙丈ヶ岳のカール壁です』

最後のパラグラフ「途中で藪沢の大滝が見えるところ・・・」がその場所です。既に書かれていますように道の脇に目立たぬようケルンが積まれました。

稲葉OBが報告せよとのことなどで、以下、後発隊の(長くなってしまった)報告をします。時間はほとんど記憶にありません(スイマセン)。

4月30日
8:20新宿新南口発JRバスは長谷村仙流荘に定時到着。臨時バス(長谷村村営)を出してくれることになり、慌ててソバをかき込み乗車。ドライバーが所々でガイドする。戸田川原を見下ろし(最大400m下)大きくカーブを切るワインディングロードを走る。昨日、先発隊はあの遥か下の川原を延々と辿ったのか、と申し訳なし。50分ほどで歌宿停留所着。梱包された花をザックにくくりつけ歩き始める。
藪沢橋で大休止。そこから3番目の大きなカーブを曲がったところで大平小屋のベンチに座っている人影が目に入る。右端の鍔の広い帽子の人が大きく手を振る。それが淳子さんと気付き、先発隊が本当に迎えに来てくれたと知り、こちらも両手を振る(山でのこういうときは本当にうれしいモンです)。
淳子さんにビールを振る舞われ、(固辞するも)両OBがザックを担ぎ、長衛荘にゆるりゆるりと向かう。

5月1日
先発隊が帰る日。皆で林道を下る。淳子さんがケルンに献花(藤田さん愛飲のグランフェディック、チェリー、好物のスモークチーズ等々と共に)。思い出話やこの場所の地図上の特定などで暫し時を過ごす。 先発隊を見送り、大平山荘前のベンチで後発隊2人でボケッと北アルプスを眺めていたら、感じの良い女将さんがお茶と漬け物を出してくれる。女将さんは、かの竹沢長衛のお孫さんで、長衛が建てた北沢長衛荘(長谷村)・長衛小屋(芦安村)、藪沢小屋(長谷村)はそれぞれ権利を譲り、現在はこの大平小屋だけが竹沢家に残った小屋とのこと。ついついビールを頼んでしまい。当代登山者事情等等、興味深い話など聞く。
当初、稲葉OBのサジェストで栗沢山に登るつもりであったが、あっさり計画変更し、長衛荘まで戻り、食料をサブザックに詰め、仙水峠にハイキング(orピクニック?)に行くことにする。 樹林帯の雪上でで休んでいたら、最近では珍しくもカッコイイ3人のアルピニストが降りて来たので、つい声をかける。信州大学山岳会の精鋭なり。駒ヶ岳往復の帰りで、戸台までチャリンコできたとのこと。北沢長衛小屋キャンプサイトに若い女性が居るかどうか聞いてくる。居てもツーショットである旨答える。彼ら残念がる。信大OB会はこの時期涸沢合宿なり。60代OBがガシガシ穂高を登っている由。我等うつむく。
モレーン帯を越え、ようやく峠につく。なるほど摩利支天を見上げる絶好のビューポイント(駒ヶ岳に登る気は更に遠のく)。飯をつくって喰ったら、赤羽OBは愛用の昼寝マット(単なる包装用プツプツ塩ビシート)を敷き、寝てしまう。不規則な鼾をかき、峠の荘厳な雰囲気を大いに壊す。
4時過ぎ長衛荘帰着。夕飯を済ませたと思ったら、「明日は仙丈など登らずブラブラしましょうよ」とつぶやきつつ、今度は規則的な鼾をかき、すぐ寝込んでしまう。まったくよく寝るOBだ(北千住駅現場所長としての5年にわたる苦労が偲ばれる)。
5月2日
6時過ぎ小屋発。園部OBが用意した(残してくれた)レーションをそれぞれ持ち、長駆仙丈ヶ岳に向かう。アイゼンは付けない。3合目を過ぎた辺りから、樹林帯なるも馬の背の急登となる。後ろで赤羽OBが「蹴りこんでステップを作ってくれ」と言うが無視。 5合目(?)辺り、左手木々の切れ間に北岳を遠望。歓声を挙げ、2人で競うようにカメラのシャッターを切る。喘ぎながらようやく樹林帯を抜け、ここでアイゼンを履き、小仙丈の登りにかかる。ありとあらゆる山々が見え、飽きることなし。シャッターを切りつつ登る。小仙丈に辿り着き、携帯ディスプレイのアンテナが立ったのを知り、早速園部OBに報告TELす。赤羽OBは早速細君にTEL。「貴方、ピークまで絶対に行ったらダメよ!」と強く言われ、途端に気が挫け「そろそろ戻りましょうか?」と言うも無視。我も負けずに細君(実家に帰っている)にTEL。「気を付けてね!」の一言あるのみ。山を知らないとは良いことである。
テント場から上がってきて我々を追い越した高校生風一団が頂上から降りてくる。ついつい声をかける。東京理科大ワンゲル部1年生を2年生が訓練山行で引き連れているところだそうだ。どうりで皆マップケースを首からぶら下げている。赤羽OBがしたり顔で遠望の山々の名を教え始める。分かっていても素直に頷く。我「先輩で大門ての知らない?」「さぁー?」赤羽OB「30年以上前の先輩なんか知る分けないでしょう!」それもそうだ。我「理科大はこの時期、伝統のスキーツアーじゃないの?」「ハイ。3年4年は今頃槍沢でガンガン滑っていると思います」さすが理科大、大門OBの後輩達は健在である。別れ際に「理科大ワンゲルに栄光あれ!」と思わず発する。皆一斉に「有り難うございます!」と返す。気分すこぶる良し!(何だか今日はハイになっている。こんな時が危ない)
小仙丈から悪場を下り、カールのピークに登り返す。ここに来て、赤羽OBが三角測量(?)で藤田さんのケルンが見下ろせるポイントを宣言。高性能の双眼鏡を(細君の)シャルレのピッケルの上に固定し、遥か下方藪沢出会いガレ場方向を覗き込む。ケルンそのもは木陰となり視認できなかったが、周囲の木々の状況からそのポイントを同定。2人して次々にカメラを向けシャッターを切る。時間は既に13時。一応3000m(?)を突破したことでもあり、「勇気ある撤退」を決定。アイゼンを脱ぎ、下りにかかる。
小仙丈から再び園部OBに下り始めたことを報告TEL。赤羽OBグリセード、我シリセードで下るも、途端に園部OBが忠告した右方の尾根に誘われ、(途中で赤羽OBが気付き)危うく途中でストップ、左にトラバースす。森林限界まで戻り、藪沢小屋出会下からの馬の背悪雪ズブズブの下りに往生しつつ、淳子さんはよくぞこのルートを往復したものだと舌を巻く。我コケ、赤羽OB嗤う。赤羽OBコケ、我心配す。膝が笑い始めた赤羽OBをいたわりつつ、夕食前に長衛荘に帰着す。アルバイトに「只今無事に戻りました」と報告するもほとんど聞いていなかった。よほどのエキスパートと思われていたらしい。
無事生還を祝いビールで乾杯す。赤羽OBはまたもすぐ寝込んでしまう。こんなに寝て大丈夫かと訝る。

5月3日 早朝は小雨。朝食後管理人の小松喜代男さんに丁重に事故に際してのご尽力にお礼を申し上げ、空模様を観ていたら奥さん(ご主人よりも能弁)が来られ、軒先で事故当時の状況を話し始める。現場まで上がってきてくれた遭対協の方々に比べ、ご主人のご尽力、気遣いは並々ならぬものがあったとの印象を受ける。ご主人は昨年、心筋梗塞で倒れ(車運転中)、8月にようやく職場復帰したところであり、この度の死亡事故は初めての経験とのこと。出がけに改めてご主人・奥様にお礼を申し上げ、長衛荘を後にする。雨止む。再びケルンに詣で(花はほとんどそのまま)2人で藤田さんに最後の別れを惜しみ、歌宿のバス停に急ぐ。バスの中から途中の道路脇に猿を3匹ほど見かける。
新緑に沸く山肌を見上げながら仙流荘の温泉に浸り、畳敷きの休憩所でビールと(赤羽OBが隠し持っていた)ワインを酌み交わし、来し方を振り返りつつ、気持ちよく酩酊す。外の爽やかな薫風にあたりに行き戻ってみたら、赤羽OBはまたも寝こんでいる。もう何も言う気にならない。こんなに寝てどこか身体が悪いんじゃ無かろうかと心配する(中性脂肪とガンマーGTPの数値が高いだけなんだだそうだ)。

最後に・・・
6月中旬から11月中旬の間、北沢長衛荘まで長野側からバスが通じます。ケルンが積まれた場所上方(藪沢橋を過ぎ右にカーブを切る左手に工事箇所の大きな看板あり)にお願いすれば、バスは止まってくれます。そこから看板脇右手の八丁坂に向かう登山道を5分ほど下った登山道左手にケルンはあります。そこが藤田さんのお墓だと思って下さい。
山行がてらケルンに詣でていただければ藤田さんも喜んでいただけると思います。本当に良い場所です。