【スイス雑報】
13回 若林です。
足腰の立つうちに、今回は都合のつかなかった諸氏に代わって 行って参りました。
しかるべき報告は、隊長並びに事務局長にお任せするとして、私の率直な感想を
語ることにします。 スイス山村行きに さして海外旅行を所望していたという訳でも
ない私が手を挙げた理由は、この企画がそこいらのツアーと違って、何と言っても
現地を40回も訪問している校長ならでは、つまり彼でなければ出来ないプランに
違いない、これは面白そうだと思ったからです。 そしてそれは予想を大きく超えた
感動となって私の中に鮮明に残りました。 こんな旅はもう不可能かも知れません。
そして何よりもアンデルマットとの親善に、少しはお役に立てたようでもありました。
スイスは皆さんご存知の通りで 何処に行っても絵になるきれいな国ですが、私に
とってはそればかりでなく、沢山の人々との触れ合いが感動でした。 勿論それは
エコーバレーとの姉妹提携の歴史や高橋ご夫妻の常々の尽力による賜物ですが、
何の力もないただ校長と知り合いというだけで、 こんなにも もてなしを受けて良い
だろうかと思うほど 地元の皆さんは気を遣い優しく接してくれました。 その中でも
山彦谷でインストラクターを務めていたスイス人の ガビー・メイ嬢、スイスに嫁いだ
日本人ノリコ・フォックスさんご両名の心を込めた手配がなければ、今回の企画は
難しかった事が現地に行ってよく解りました。更に、メイさんは三日も休暇をとって
我々に付き合ってくれたり、 ノリコさんはパーティの席で我々の紹介や通訳をして
くれたり、そしてお二人ともご自宅へお茶に招いてくれたり、それはそれは大変な
気遣いでありました。校長の現地に於ける偉大さにただただ感服するばかりです。
さて肝心の様子風景ですが、絵葉書一枚に納まったものしか見たことのなかった
マッターホルンひとつとっても、 それら絵葉書十枚を モザイク状に並べたところで
表現し切れないほど実際は巨大雄大な山だったり、1キロ先に見える情景が実は
数キロ向こうだったりと日頃の自分の感覚とはスケールが違い過ぎて、私の拙い
文章力で何をどう書こうが とても筆舌に尽くせません。 参加者それぞれの撮った
写真にてご想像いただく事にします。それでも、山の小径で牛の行列が賑やかに
カウベルを鳴らしながら通り過ぎるのに道を譲ったり、山頂にある1軒のレストラン
だけのためにあるロープウエイを1キロも登って行ったり、パーティのお礼にと町の
収穫祭に招かれて舞台の上でダンスをさせられたり、カルチャーショックの連続で、
文章でも写真でも表現し切れない想い出が山ほどある、中身たっぷりの旅でした。
山村トレッキングですから、今回私は山行とは余り考えておりませんで、それでも
山国スイスならば平らなところはまず無い坂道ばかり、まあ一千万円の海外旅行
保険にも入ったしと、気楽な気持でいました。しかし校長は応急手当を始めとして
山岳救助隊や、場合によってはスイス軍への救援要請まで準備していたようです。
アルプスの稜線やアイガー峰のてっぺんまで電車が登っているような国ですから、
ついぞ安易に考えてしまいがちですが、 そこは世界に冠たるアルプス山脈でした。
余りに穏やかな日々が続いたので、荒れたら大変な事になるのを忘れていました。
13回 若林です。
私が書き過ぎて、もう誰もスイスの事を書いてくれないので 仕方なくまた書きます。
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スイス人が我々に馴染み易かった点のひとつに、彼らの背丈があまり大きくなくて、
日本人とそう変わらない事もあったかと思います。スイス語というものが無いように
もともと様々な人種からなるスイス人ですから、 中には かなり大きな人もいますが、
日本人としても高い方ではない私くらいの人が結構沢山いるのです。行き帰りとも
オランダのアムステルダム空港を経由したので、一時 同空港内を移動しましたが、
壁の如き巨大な男女に圧倒され、こっちが2歩進むのを1歩で追い越される屈辱を
味わいましたが、スイス国内に入ってからは そういう思いは一度もしませんでした。
日本人が小さかったのは江戸時代までの栄養不足が原因でしょうが、ひと以外の
動植物もみんな欧米より小ぶりですから、風土自体に問題があるかも知れません。
スイスも山国で豊かな風土ではなさそうだし、家畜を追って酸素の薄い山谷を駆け
回るのにはデカイ図体が向かなかったのでは、と言うのは少し考え過ぎでしょうか。
日本語すらおぼつかない私は、当地にはスイス語が無いと知って何語を喋るのか
心配でしたが、事前のリサーチで、基本的にドイツ語だが英語もやや通じるらしい
と聞き、じゃ英語の分かるメンバーの後にくっ付いていようか と一応は考えました。
しかし今回行くところはほとんどが山間部、都会ならともかくもそんな田舎に行って
誰もが英語を喋るはずないだろうと、日本の地方を想像してまた不安になりました。
ドイツ語は英語と親戚だから構成が似ていて、彼らは我々より英語に馴染み易い
との理屈は解ります。でも狭い国の同じ日本語でさえ コテコテの津軽弁と沖縄弁
同士で喋ったらほとんど会話にならないでしょう、そう巧くいくのかな と思うのです。
ところが現地に着いて人と会えば会うほどに私の島国根性は氷解していきました。
立場や職業を問わずほとんどのスイス人が普通に英語を喋るのです。 しかもあの
アメリカ人のような早口の巻き舌でなく、 我々が教科書で習ったような解りやすい
易しく丁寧な英語なので、私あたりでも何とかヒアリング出来るではありませんか。
4カ国語以上が氾濫するスイスでは、共通語としての英語が 必須なんだそうです。
で多分、仕方なく また書きます。
13回 若林です。
今回の旅行費用は、今後の事もありますから 皆さん気になるところかと思います。
9日間の欧州旅行であるにもかかわらず、 ともかく信じられないような安い旅費で
行ってくることが出来ました。もしそうでなかったら私は参加しなかったと思います。
当初に納めた宿泊代や航空運賃などで 20万円、現地での交通費や昼食代など
諸々の徴収で約 6万円。土産などの個人的な出費を除けば、たったこれだけです。
普通なら 40万円以上掛かると思いましたが、現地で知り合った日本人添乗員に
よると、我々より 2日間多い日程で一人50万円になるそうですから、やはり半額
ぐらいで済んだ事になります。 もちろん 校長や当地の皆さんのご尽力があっての
事ですが、今回が初めてだけに 様々な事態も生じて、校長の企業サイドとしては
結局持ち出しになった模様ですから、次回も同じに とはいかないかも知れません。
愛甲氏が事前に準備してくれた資料によると、スイスには札とコインの種類が多く、
記憶力の悪くなったこの頭で、旅行中に覚え切れるか混乱しないかと不安でした。
換算レートは出発の6月10日現在成田空港の銀行で 1スイスフラン=93.46円
でした。つまりおよそ百円ですから、いざ手にしてしまうと 1フランコインが百円玉、
10フラン札が千円札、と思えば良い訳ですから 計算が楽になりました。すなわち
1円以上の日本円に相当する全てのコインと札があるのでほとんど混乱しません。
多く見えるのは 20円、200円、2万円、10万円に相当するものがあるからでした。
コインはまずまず立派ですが 札は日本のギフトカードみたいで頼りなくチャチです。
換算が楽だと、値段が高いか安いかすぐに分かって勉強になります。 おしなべて
スイスの物価は日本より高い印象を持ちました。途中デジカメの調子が悪くなった
愛甲氏は、日本で 5〜600円のはずの普通の写真フィルムを買いましたが、何と
15フラン(1400円)もしたと引っくり返っていました。あまりにも高いので、初めは
観光地値段にしてやられたかと勘ぐりましたが、色々見て歩くうちに大抵のものが
高いのが分ってきました。普通の値段なのは 国内産の酪農製品ぐらいでしょうか。
おまけに長年店頭にさらされて埃をかぶり、日本なら 投げ売るか廃棄処分される
ような品でも、2〜3割引き程度の高値で堂々と売られています。こんなに物価が
高くてスイスの人達はどんな生活を営んでいるのか、二人でしばらく談議しました。
この話 続く。
13回 若林です。 前の話の続き。
驚くほど高い物価の中、スイス人はどんな生活をしているのか、スイス人に尋ねた
訳でもありませんが、愛甲氏と二人で出した結論はおそらく正しいと思っています。
観光立国だからと言う事もあるでしょうが、 古い物をなるべく壊さず、修理してでも
繰り返し大切に使い、 身なりも質素で、無駄やゴミを出さない生活ぶりであるのは
国中どこへ行ってもよく分かります。今にも朽ち果てそうな木造倉庫の土台だけを
コンクリートの柱に直して、これでもかと 大事に使っているのを路地裏で見かけて
驚きました。そんな施工は厄介ですから 日本なら壊して建て変えてしまうでしょう。
国民の大半がそういう意識で生活すると、品物を吟味してたまにしか買わず 且つ
長期間使いますから、品物はあまり売れず流通も停滞します。 かと言って物資を
余らせている訳ではないので、 売れ残っても投げ売りは出来ません。 そう言えば
そんな生活を私ほどの年代はどこかで知っています。 私の亡きお袋は、靴を一足
買うのに一年ぐらい探してやっと良い物を見つけ、買ってからも たまにしか履かな
かったのを今でも憶えています。 穴のあいた鍋は 修理して使うのが当り前でした。
昔は 何でも高いうえに所得も低かったので、誰もが我慢の生活をしていた訳です。
でも今のスイスの所得が低いという事ではないようです。街を見てもまた招かれた
ご家庭の様子を見ても、日本とそう変わらない生活レベルに思われます。どうやら
買えないから買わないのではなくて、余分な出費を なるべく控えようという考えが
浸透しているようです。 ヨーロッパは一般にそうですが、特に資源の乏しい小国が
永世中立の国の身を守るためには、無駄を省き質実剛健を旨とする思想を国民に
徹底したに違いありません。観光立国となってからは、先達の遺産をさらに大切に
しますから、 消費を美徳としない国民になったのだ、と愛甲氏と結論付けた訳です。
九州ほどの面積しかない山国では、どう頑張っても 大した産業は成り立ちません
から、欧州内での戦争の心配がなくなった今は 大半の物資を輸入に頼り、しかも
所得を維持するために 物があまり売れなくても高い物価を維持せざるを得ません。
でも 最近ついに1コインショップが出現したそうで、 時代の波は押し寄せています。
13回 若林です。 夏山の話題賑わう中、失礼します。
旅の途中で妙な事に気が付きました。農業国であるはずなのに 田畑というものを
ひとつも見ないのです。全行程で スイス国内を 数百キロは移動したと思いますが、
牧草地は山のてっぺんから麓の町際 までいくらでもあるのに、田や畑には一度も
出会いませんでした。いや厳密に言うとたった一回だけ、裏街で数メートル四方の
家庭菜園にお母ちゃんが水をやっているのを見ましたが プロの畑ではありません。
南極を除けば、世界中どの国へ行こうが峰を辿ろうが、段々畑のひとつぐらい 必ず
あるはずだ、と最後には意地になって探しましたが、 とうとう見つかりませんでした。
ホテルやレストランでちゃんと野菜は出るし、スーパーには沢山売っていますから、
一体どこで作っているのか不思議でしたが、 帰国までには謎は解けませんでした。
帰国後に、校長のしていたある話を思い出してハタと気が付きました。山彦谷でも
牧草を育てた事があるようですが、牧草は根っ子が強くて元の畑に戻すのが容易
ではないそうです。スイスでは政府に金があるせいか、牧草の種をヘリコプターで
撒くので、そこいら中牧草地でないところにも生えてしまい、ある頃から畑を捨てて
酪農専業に割り切ったのかも知れません。隣国には農業の充実した国がいくつも
ありますから、 野菜や穀物は陸路輸入すれば良い訳です。 この国は 高級時計と
酪農以外には 観光資源ぐらいしか稼ぎ口がないのに、 結構裕福みたいなのです。
でも実は今回、あちらのご要望で日本から手土産にキャベツを背負って行きました。
欧州の菜っ葉は日本のものより硬いようで、我々が細切りキャベツと思って食べた
のがレタスでした。 ましてキャベツは、煮物ならともかく生食には向かないそうです。
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最大の目的地アンデルマットでの宿泊は、当初企画していた 数百年もの歴史的
ホテルがたまたま改装中であったために、町の中心部にある「ドライケニゲ」という
ホテルになりました。建国の父とも言える「3人の王様」という意味で、それゆえに
スイスではよく使われている名前だそうです。 車で到着した我々が玄関をくぐると、
当主を始め 数人が出迎えていました。特別扱いされたようで 「いよいよその時が
来た」 の感があります。そのうちの一人が 日本人である事すぐにが分かりました。
やはり 挨拶の仕方がどこか外国人と違うのです。その方が多分 「鈴木シェフ」で
あろうかと思われました。かつて 山彦谷の校長のホテルで料理長をつとめ、その
縁でスイスに渡り、腕と真面目さを買われて定着してしまった人がいる、との噂は
かねて聞かされていました。 その夕べ、ご当地の名士を幾人もお招きした懇親会
でのコース料理は勿論彼の手によるもので、最後には挨拶にも出て来られました。
翌日、鈴木シェフは休暇をとって我々のピクニックに付き合ってくれました。名士の
方々が前夜のパーテイのお礼を兼ね、色々な場所へ連れて行ってくれたのですが、
日本人が滅多に行かない所ばかりなので、何かとドイツ語での会話や説明が多く、
結局鈴木シェフが我々のためにその通訳をすることになってしまいました。その晩、
非番にもかかわらず、鈴木シェフは我々の無理な注文を受けて厨房に入って指示、
夕食メニューに無かったスープとパスタを、急遽特別に用意してくれたりもしました。
今回ご同行頂いた中村会長夫人は、海外旅行を沢山なさったそうですが、外国の
食事が口に合わなかった数々の経験から、和製レトルト食品やインスタント食品を
どっさり持参されました。しかし先に宮本さんが書いていたように、スイスの食事が
案外美味しいので、この頃にはもうすっかり安心して、持って行った食品をほとんど
鈴木シェフ に差し上げてしまいましたが、 大喜びされたのは言うまでもありません。
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我々のために、休暇を3日間も取って付き合ってくれたガビー・メイ嬢の話をします。
日本との交流で、山彦谷でのインストラクターを務めていたスキーの名手ですから、
確かに運動神経は良さそう。 我々を乗せた大きな車の運転などさすがで、 校長に
言わせると「俺よりうまい」そうです。 一見したところ地味な普通のお嬢さんですが、
彼女がサングラスをかけた途端に目を見張りました。 なるほど、この姿でスキーを
履いたら、冬季ポスターのモデルがやれそうなほどピタリはまって格好良いのです。
彼女が我々をご自宅にお茶に招いてくれた事があります。 ご両親と一緒に住んで
いる家なのですが、当地に珍しい鉄骨の新築3階建てで かなり豪勢なものでした。
でもお父さんはごく普通のサラリーマンで、彼女が格別裕福な家のお嬢さんと言う
訳ではないそうです。 スイス人のほとんどが 一戸建てに住んでいますが、 建物の
新旧を問わず みんな大きくて立派なのに驚かされます。 これには理由があります。
永世中立国であるスイスの銀行には世界中の金持ちから預金が集まる、と私達は
子供の頃から聞かされました。確かに銀行には唸るほど資金が貯まっているので、
国民には無条件に どんどん金を貸してくれるそうです。金の有り余る銀行としては
金利さえ回収出来れば商売になるので、返済は百年掛かっても良いんだそうです。
環境といい国の施策といい、国民に優しいのは なんとも羨ましい限りで、スイスに
住みたい人がごまんといる筈ですよね。ですから人口の流入を厳しく制限しており、
先の鈴木シェフはもう14年も住み着いているのに、 未だ永住権を取得できません。
ガビーさんは心から日本を愛してくれているようで、この秋には日本に行き 何故か
その時は新宿でラーメンを食べたいんだそうです。 今回、残念ながら彼女の勤める
ホテルは満杯で利用できませんでしたが、勤め先から大型車を借り出してくれたり、
宿泊先の手配、レンタカーの受け渡しなどフル活動で我々の世話をしてくれました。
彼女は日本語が相当達者です。ある時の事、翌日の予定を確認するため、電話を
掛けに行った彼女、やがて戻って来て 「デンワは出んわ」。この程度の駄洒落でも
遠いヨーロッパで外国人にすまして言われた日にゃ、私ら のけぞるしかありません。
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名立たる観光地スイスですから、かなり沢山の日本人に出会うだろうと、出発前に
ある程度の覚悟はしていました。でも最初の数日は、アンデルマットを含めて日頃
ツアーに組まれる地域ではなかったので 全く日本人観光客に会うこともなく、その
事をすっかり忘れさせてくれました。 ところが5日目に、マッターホルン入り口の町
ツェルマットに辿り着き、 駅前レストランのテラスからあたりを見渡して、 うぎゃーと
叫んでしまいました。居るわ居るわ、次から次へと日本人の団体さん。中国人とか
韓国人も来ているのに、何故だか日本人はすぐに分かるんですよね。あちらさんも
こっちを見て同じように思うんでしょうが、 せっかくここまで来たからには放っといて
チョーダイという感じでそ知らぬ顔、お互いが声を掛け合うなどという事はしません。
その日は、マッターホルンに最も近いと言う山岳ホテルに泊まりましたが、 我々を
含めてその日の宿泊客4〜50名の全員が日本人という有様でした。レストランの
用意していた席の全てが日本人で埋まっていましたから、 間違いないと思います。
次の日 麓の町からケーブルカーで見晴らしの好い稜線まで登り、そこから我々が
歩いて下り始めた時、近くで景色を眺めていた人達から 「どこに行くんですか 〜」
と日本語で声が掛かりました。歩いて下山するなどそのツアーの人達には想像も
つかない行為だったようですが、 そ知らぬ顔をしながらも、どこか気にし合っている
日本人同士が垣間見えて面白い場面でした。 今回の旅では日本人が多いという
だけで、 機内でも現地でも、マナーに眉をひそめることがなかったのは 幸いでした。
その麓の町ツェルマットで本屋に入った時の事、メインの平積みの棚に 日本語の
表題の本があるのにびっくり。 辺りには 他にも日本語版が何冊も積んであります。
主には現地の景色や動植物の写真集ですが、近くにドイツ語版で全く同じ内容の
ものも並べてあります。こんな配置を見るだけで、いかに多くの日本人がこの町に
やって来るか、いかにスイス観光へ貢献しているかが 伺い知れます。 そう言えば
あの「アルプスの少女ハイジ」 は当地では一体どうなのか探してみたら、すぐ傍に
ドイツ語版のものが十種類も揃えてありました。 タイトルはただ「Heidi」なんですね。
これもおそらく日本人向けに品揃えしたように思われます。これに限らず日本語の
看板やメニュー、さらには日の丸を掲げる店もあったり、日本人さまさまの町でした。
しかし先の愛甲氏の報告にあるように、なかなか客ズレもしていて、 あの町を見て
スイスとは思わないで欲しい、とはかの国に嫁いだノリコ・フックスさんの訴えです。
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マッターホルンに最も近いホテル 「クルム・ゴルナーグラート」で、 なかなか珍しい
体験をさせて貰いました。登山鉄道の終点 ゴルナーグラート駅の表示で3090m、
そこから少し高台にあるホテル裏の展望台で3190m。 なにせ マッターホルンの
肩に近い標高、目の前には美しい氷河が広がっています。日本でなら富士に次ぐ
高峰の北岳や奥穂高岳の頂上と同じ高さです。 歩いて登って来たのならともかく、
アプト式の電車に乗ってわずかに1時間足らずで着いてしまったのですから、薄い
空気にそう簡単には身体が慣れず、息苦しさは否めません。ホテルまでの坂道を
ゆっくりゆっくり登るのですが、心臓の鼓動がよく聞こえます。 ところでこのホテル、
4階建てにもかかわらずエレベーターがありません。こんな山頂だと設置が難しい
のか、動力を賄う電力が足りないのか。 よりによって私達の部屋は最上階の 4階、
建物は結構立派なだけに天井が高く、だからまた階段も長いのです。 ワンフロア
上がるごとに一休み また一休み、一気に上がるなんて苦しくてとても出来ません。
でも、夕食の頃にはその事などすっかり忘れ、1階のレストランでビールとワインを
たっぷり戴いてしまいました。 その結果、早鐘のような鼓動を聞きつつハーハーと
這うようにして部屋に辿り着き、 風呂にも入らないで 倒れる如く寝たのであります。
天気さえ良ければ、マッターホルン山頂を紅に染める 朝焼け(モルゲンローテ)が
見られると言うので、翌朝頑張って5時に起きました。もう廊下の方ではガタガタと
皆さんが起き出した気配がしています。 誰か一人ぐらいは寝ているか と思いきや、
我々のグループ全員がもう外に出ていて、寝坊の私も起きられて良かったワイ、と
やれやれ。 風は全く無く、残雪を踏みしめているというのにちっとも寒くありません。
そして5時半、早起きのかいあって見事に金紅に染まるマッターホルンを拝む事が
出来ました。 360度見渡せる快晴、ここからの大パノラマは忘れようもありません。
マッターホルンから続いて手に取るように見える稜線は スイスとイタリアの国境で、
その線上にチラホラと建物が見えます。 すべて両国からの ロープウェイ終点駅で、
パスポートの携帯があれば、こちらの駅から歩いてあちらの駅へ行きイタリア側へ
下ったり、 あるいはその逆をしたりするのは簡単だそうです。 道路上の場合などと
違い、いかにも国境を越えるという感じがありそうで、一度やってみたい気がします。
起きた時に軽くめまいがしたようで、高山病の心配をしましたが、再び登山鉄道で
下山して来ると、 もうすっかり回復してしまいました。 なんだ、酒と歳のせいだった。
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やっぱりスイス、ペットも含めて毎日色々な動物を目にしました。 まず何と言っても
そこいら中に放牧されている牛ですが、 我々に馴染みのある牛乳マークの白黒の
ブチではなく、全部茶色い牛です。 2日目のトレッキング中に牛の行進に出会って
道を譲りました。 群れを率いる家族(多分)は十人くらいで、その中に 子供が数人
いました。まだ昼時分ですから学校はどうしているのか気になります。観光立国を
意識してでもないでしょうが、みなさん愛想が良くて 私達を見てニコニコしています。
牛達は大きなカウベルを鳴らしながら行くのですが、うち1頭だけ他の倍ぐらいある
巨大なベルを付けられているのがいて、我々みんなで思わず「可哀相!」と言って
しまいました。後日道具屋にあったベルを実際に触ってみましたが、片手で簡単に
持ち上がるような代物ではありません。意味もなく そんな大きな物を付けるはずは
ないですから、きっと そのくらいしないと収拾がつかないほど、その1頭がやんちゃ
なんだろうなと思われました。カウベルは「ガランガラン」とかなり大きな音がします。
100m離れて「カランカラン」、500mで「チャリンチャリン」、1km以上離れてもまだ
「シャリッシャリッ」と聞こえています。 カウベルの役割りは分かっていたつもりでも、
実際に体験してみると なるほどなぁと感心させられます。地元の人には多分もっと
よく聞こえるでしょうから、自分の牛が 数km遠くにいても見失う心配がない訳です。
一日中草を食べながら首を動かしているので、 ベルの音が止む事はないのですが、
聞いた話では一生付けたままでいるとか、牛自身はたまったものじゃありませんね。
ただ牛が多いって事は糞にたかるハエも多いって事。 いやこの話はやめましょうか。
やぎの放牧も たまに見かけましたが、この集団には人が付いていません。やぎの
リーダーが勝手に連れ歩いて道路を移動しています。ちょっと不思議な光景でした。
やぎと言えば3千mの山頂で、立派なカーブの角を持つ「アルプスやぎ」を見ました。
2頭が角を突き合せて、闘っているのかじゃれているのか にらみ合っていましたが、
やがて山を下りていきました。我々の目の前 数十m先での出来事です。案内書に
「最近は滅多に見られない野生種」 と書いてあったので幸運でした。 この高さまで
登山鉄道で登り降りする途中で、マーモット の棲む一帯を通りました。 大型のリス
みたいな動物で、幾頭もが巣穴を出たり入ったりしています。 これも勿論野生です。
ペットはやはり犬と猫ですが、どちらも大きいのばかりで 日本で人気のある小型犬
などは一匹も見かけませんでした。デカイ猫達はみんな人なつこく 人が大勢いると
寄ってきて、ひとわたり撫でられると去って行きます。 日本の猫は 警戒心が強くて
あまり寄ってきません。 驚いたのは 四つ星ホテルのロビーに飼い猫がいた事です。
他のホテルのラウンジでは犬を連れた客がグラスを傾けていました。動物と一緒に
いる事には寛容な国民のようですね。馬は見かけませんでしたが、たった一頭だけ
マッターホルン麓の町にいました。 つまり観光客を乗せる馬車を牽いていたのです。
客待ちしているところを傍に行って撫で回したら、 いかめしく正装した御者が じっと
見下ろしていました。いけね、と思ってニコッとしたら 向こうも笑ってくれました。ホッ。
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国をあげて観光事業に取り組むとこうなるかも知れない、と 良し悪しや好き嫌いは
ともかくとして、色々な意味で見本になる国だと思いました。古いものを出来るだけ
残して、 そこに不相応な新しいものを混ぜ込ませない環境づくりが徹底しています。
世界遺産 京都のど真ん中に高層ビルを建てる事を阻めない恥ずかしさを感じます。
道路から見える民家の窓という窓には、ほぼ全部に季節の花々がきれいに飾って
あるのを見ても、これがそれぞれの住民の意思だけとは考えにくいものがあります。
花にしろ飾り方にしろ、 それらの形態があまりにも揃い過ぎているのが不思議だと
思ったら、建物の外からプランターごとメンテナンスをするリフト車が動いていました。
不思議といえば、その家々のたたずまいが面白いのです。 多少の大きさの違いは
あってもほとんどが同じような切妻スタイルの三階建てで、窓の形や位置や大きさ、
そこに必ず付いている観音開きの鎧戸、どうしてこうまで 同じ型の家ばかりなのか
興味が湧きます。それでも壁や窓枠や鎧戸などの彩色をそれぞれが工夫していて、
非常によくカラーコーディネイトされています。建物の様子が比較的揃っていてかつ
外観の色がきれいですから、町全体が絵画のように緑の中に美しく映えて、今にも
ハイジが出て来そうです。 もしや、これも国の施策なんだろうかと思ってしまいます。
古いものや環境は壊さなくても、道路網は発達していて高速道路は全部無料です。
そしてどこへ行っても車やバイク、自転車の旅行客が走っています。 集団もいれば
一人旅の人も多くて様々ですが、とにかくその人数が半端ではありません。 とくに
自転車の旅が目立ちますが、何と言っても山坂だらけの国なんですから、皆さんの
パワーに感心します。そう言えばヨーロッパは自転車のロードレースが盛んな場所
でしたよね。 田舎町で小学生達がヘルメットをかぶって路上練習をしている光景を
見ました。我々のトレッキング中にも、山の上からひと一人がやっと通るような道を、
平地のような猛スピードで自転車が転がり降りて来て一同 びっくりさせられました。
車で走っていると、 数キロ毎ぐらいに現れる町や村には、そこがとりわけ名所旧跡
でもなさそうなのに必ず「HOTEL」、「RESTAURANT」の看板があります。自転車や
バイクで気ままに旅をしながら、 日が暮れたら一泊、気が向いたところで もう一泊、
もしかして、そこで知り合った者同士で 一杯飲りながら土産話を交わしたりなんて、
昔の東海道五十三次、 弥次喜多道中みたいな旅を 楽しんでいるかも知れません。
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欧州には有名な優れた車が沢山ありますが、ことスイスに限っては我が日本車の
ディーラーがあちこちで目立ちました。 ほとんどのメーカーの店舗を、それも何軒も
目にしましたし、日本車も結構走っていて、 同胞の活躍ぶりに感心させられました。
道路網が充実していても、環境保護を目的とした自動車乗り入れ禁止区域があり、
そこへは列車か電気自動車でしか行けないようになっています。日本でも 一部の
山奥にはありますが、ここでは大きな町や村を含め、広い地域でそうなっています。
また車で長い坂道を延々と登らなくて済むように、 一定区域は車ごと運んでくれる
専用列車があって これに乗ってみる事も出来ました。簡単な雨よけ屋根が付いた
だけの台車に、人を乗せたまま 車が一列に並んで詰め込まれます。ドアを開けて
車の外に出る事など出来ませんから、 途中でトイレには行けない、という代物です。
道路の尽きる所には、 本当に呆れるほどロープウエイ、ケーブルカー、登山電車が
用意されていて、 国中のたいがいの山の頂まで、 誰でも簡単に行けてしまいます。
トレッキングが目的の我々は一応登山姿ですが、ショルダーバッグに街着といった
人々が山頂付近にゾロゾロいたりするので何だか疎外感すら感じます。 こういった
施設があればこそ大量の観光客を国の隅々まで呼び寄せることが出来るし、 また
国の大きな収入源になっているのですが、ここまで至れり尽くせりになってしまうと、
かつては自分の脚だけを頼りに山奥に分け入った身としては、ちょっと複雑な気が
します。しかしこの歳になってみると、誰もが奥深いところの絶景を満喫できるのは
有り難いことでもあります。校長はアンデルマット懇親会の席上で、「これから毎年、
仲間を連れて訪問します」と言ってしまいましたから、もう引っ込みはつきませんよ。
ということは、毎年6月はスイス山村トレッキングが恒例行事になるという訳ですね。
もっと行ってみたい所が当地には沢山あります。が、さすがに毎年は行けないです。
長々と書いて来ましたスイス雑報。 話のネタはまだあるのですが、 これ以上書くと
やっと登場してくれた愛甲氏の本報告や、前の 宮本、安藤報告と話題がいよいよ
ダブってくるだけです。そして丁度頃合に、高橋隊長からの貴重な「アンデルマット
懐郷録」も出て来ましたので、 私の雑報はこの辺りでそろそろお終いにさせて頂く
ことにしたいと思います。迷惑メールになっていた皆さんには お詫び申し上げます。
しじみさん、真理さん、陰ながら応援下さっていたらしい皆さん 有難うございました。
−完−