思い出の夏山合宿
【7/27】 FAC-ML 合宿の話 18期 飯田 典子
徳沢の合宿いいですねえ。うらやましいです。
大昔 横尾での合宿思い出しました。横尾にテント張っておいて蝶が岳や槍ヶ岳の往復
屏風の頭で槍穂を眺める等など 体力のあった時代でした。
愛甲さんも倉石さんも皆若かったです。一昨年蝶から常念を歩いて40年前と同じ槍穂の
大パノラマに大感激でした。
天気も良さそうなのでどうぞ楽しく行ってらっしゃいませ。
【7/29】 FAC-ML RE:合宿の話 13回 若林です。 ちょっと長いです。
あの当時 3〜4回続けて北ア合宿があったので、幾つかが混濁しているようです。
そのうち私の参加は一回きりなのでよく憶えています。その時同行頂いた先輩は
一法師さんでした。飯田典子さんを始め18期は一人もいませんでしたから、多分
その前年だったのでしょう。 愛甲殿、HPにその時の写真がないようですが、私の
撮った3〜40枚は以前、 16回真山(前田)悦子さんがお持ちだと言っていました。
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遠い遠い 昭和 37年の夏、 私は予定の美大生に未だなれずにいて、御茶ノ水の
美術学校に通いながら ぶらぶらしていました。そんなある日、同期の愛甲君から
電話が掛かりました。 彼は自分の大学よりも、卒業した富士高に通っている方が
多いかも知れない、というほど当時も現役と親しくしていましたが、 電話の内容は
その年の後輩達の夏山合宿についてでした。 今年も 北アルプスを計画したのは
良いけれど、女子の参加者が多くて全員で荷物を背負い切れない、お前はどうせ
暇だろうからボッカをやってはくれまいか、というものでした。私たち13期辺りから
しばらく少なかった女子が、16期 と17期にどっさり入部して華やかになったのは
聞かされていましたし、あまり富士に顔を出していなかった私にも 楽しい話でした。
女子の多い幕営パーティは 男子の荷物に負荷が掛かるのは当然ですし、それを
嫌がる男子はいませんが、今回ばかりは物理的に限度を超えているらしいのです。
当時は 私もまだ体力に自信がありましたし、確かに暇人でしたから、気分転換に
お手伝いすることにしました。しかし私一人が増えたぐらいでは知れていますから、
何人かに当たってみたところ、同期の吉川君から良い返事が貰えました。 すでに
知られた話ですが、現役当時 彼は山岳に入っていませんでした。 何とバスケット
などというハイカラなクラブにいたためですが、山行行事を除けば ほとんど一緒に
行動する仲間だったし、 運動部だけに体力もありましたから、心強い助っ人でした。
愛甲君のほか顧問の先生二人と11期の先輩(一法師さん)が同行と聞いたので、
引率の心配はいりませから、ともかく我々二人は ボッカに専念することにしました。
それなら二日先発し、一次キャンプの横尾で 昼寝でもするかという話になりました。
今と違って当時の山道具は何でも重く、出発日の夕刻に富士高から背負って出た
荷物は何十キロあったのでしょうか、一度腰を降ろしたら簡単には立ち上がれない
重さでした。でも翌日難なく横尾に辿り着き、実にのんびりと惰眠をむさぼりました。
二日後、今は亡き15期手塚君率いる本隊と合流してから、涸沢にキャンプを上げ
ベースを構えましたが、20人もの大部隊でした。幸い合宿中は天候にも恵まれて
前穂,奥穂、槍、と十分に堪能しました。高橋、田中という巨人を有する16期とは
すでに馴染みでしたが、17期の 山本君、長谷川君、八尾さんたちとも知り合えた
懐かしい合宿でもありました。私はそれを最後に、故あって山行を断念しましたが、
吉川君は逆にその頃から山に目覚めてしまい、 以来、今日まで登り続けています。
合宿に参加していたのですから、後輩たちが勘違いするのも無理はありませんが、
いつの間にやら彼の名がFACの名簿に載るようになり、我々も嬉しく思っています。
そんな思い出のある懐かしい北アですから、 13期トリオに加わりカルテットになり、
カレーライスと昼寝だけでも楽しみに行きたいところですが、まことに残念至極です。
【7/29】FAC−ML 昭和37年夏 13回 愛甲勝久
私も長くなります。
記憶の錯綜を整理しておく為、PCの傍に置いてある「やまなみ・第5号」を
開いてみました。
この合宿報告は当時二年の田中礼三君が書いているのですが、女子部隊の行動
については横尾合流後の記録しか記載されていないため、若林君の思い出は私
は初耳でした。
男子部隊は、2年−L・田中、SL・中井、高橋、濱田、安藤。1年−長谷
川、田中。和田先生、OB−愛甲。
女子部隊は、2年−CL真山、SL有賀、松尾。1年−八尾、白水、佐原、笹
尾。三木先生、小泉先生、OB−一法師、若林、吉川、藤田。
男子は7月23日出発、裏銀座縦走槍沢を経て28日横尾で女子と合流、29
日は女子が槍ヶ岳往復(朝6時出発、午後18時帰着)男子は停滞。
30日涸沢に移動、雪上訓練。当時涸沢は大混雑だったため、幕営地確保のた
め男子5名(2年4名1年1名)とOB1名(私ではなかった)が5時起床し
て先発した、と記録されています。本隊出発は男子8時、女子9時15分と記
されていますので、徳沢の和やかだった2日間が思い出されます。
31日BC→北穂東稜→唐沢岳→穂高小屋→奥穂→ザイテングラード→BC。
8月1日涸沢より上高地へ下山。と言うたっぷり10日間総勢21名の大合宿
でした。
よくもまあこんな計画が富士高職員会議を通ったものだと私達OBは語り合っ
たものでした。味を占めて翌年は立山・剣・白馬三山縦断という先生OBを入
れて25名、やはり10日間の合宿を敢行しました。
前半の雷鳥沢から剣・池の平・阿曾原まで男女合同、欅平で女子と別れ、男子
部隊はOBと合宿SLの八尾愛子さんが加わり、祖母谷・不帰岳・白馬(しろ
うま)岳・唐松岳を経て八方尾根を下りました。
行動が前後しますが、OB会ではこの時剣沢BCで中村会長をリーダーに藤
田、藤原、愛甲、伊井で合宿しました。中村先輩は現役の合宿に参加できませ
んでしたが、学生だった4人は雷鳥沢でFAC一行に合流した訳です。私には
この時初めて触れた剣の岩肌の感触が、いまこれを書きながら蘇ります。
バヤシ君、貴兄も多少記憶が重複しているようです。
手塚、山本両君とは合宿以外のシーンで会っていたと思います。
今回カルテットを組めなかったことはまことに残念です。
田中礼三君、このMLは貴兄にも届いているはずですので一言発信してくださ
い。
若松(兼吉)さん、女子部隊を若林君が撮影したという(本人はきっと散失し
ている)写真を真山(前田)さんが持っているそうですが、彼女はMLから離
れているため、同期のあなたから貸して頂けるようお願いしてください。
【7/29】FAC−ML 続き 13回 愛甲勝久
話題の発端となった飯田(綿貫)さんは前記立山・剣合宿があった年の4月か
ら入部、。歓迎山行、5月丹沢合宿、6月マチガ沢合宿、7月馬頭刈尾根、
剣・立山、11月春山の偵察合宿(行者小屋BC⇔阿弥陀・赤岳)、12月高
天原スキー合宿(BC幕営)、3月春山合宿(行者谷BC幕営)と、1年間皆
勤されていたことに驚いています。この頃現役に便乗して歩いていたOBは私
のほか伊井、藤田、藤原、手塚といった名前が登場しています。
飯田さんがMLに書かれた夏山合宿は、2年生の夏でしょう。この年度の記録
は私の手許の次号「やまなみ」が奥深くにうずもれていて今詳細を復元できま
せん。
この期は他に赤羽、水島、藤掛、寺沢、依田(長谷川)、奥田(鈴木)、勝見
(一杉)、清水(坂田)の8名がMLに登録されています。読んでいたら近況
をお知らせ下さい。
年寄りの昔話の例にもれず、長くなりました。
続きは徳沢BCにて。
【7/29】FAC−ML RE:ついでに 8回 倉石 馥
FACの皆様
先日来、飯田さんが言われている件が時々話題となりますが、私に思い当たる
事があります。昔はかなりの荷物を背負って歩けたのだから、横尾までは平ら
だからと、あまりトレーニングもせずにかなり重いザックを背負って横尾の手
前あたりでばてた事がありました。その翌日だったかに、皆さん方は涸沢?屏
風の見物?で何処かまでいらして、私はテントキーパーをしていた事がありま
した。
私の記憶が間違っていなければ、その日が故藤原君の誕生日だったので、その
お祝いにテントのわきの流れで冷やした缶ビールを皆で飲んだ事があったよう
な気がします。ビールを飲んだのですから、現役の人達はそこにはいなかった
はずです。どなたか彼の誕生月だけでも教えていただけませんか?
でも、私は今までにとんでもない病気を何回もして、しばらく意識がなくなっ
ていた事もあり、部分的に何処までが本当で、何処からが想像または夢の世界
なのか判らない事もあります(都合の良い話ですが‥‥私の頭の中のメモリー
の欠落をごまかすのにとても具合が良いです)。
【8/8】FAC−ML 思い出 18期 飯田 典子
私が書いたのは1966年の夏です。OB会デビュウでした。
横尾にテントはりっぱなしで出入り自由でした。愛甲さんや藤原さんは途中から
いらしたとおもいます。 私や奥田さんはキャピキャピの大学1年生でしたが
ビールざんまいでした。
その時に観た景色は忘れられず いまこつこつとまた登っているのです。
海の日には唐松五竜で遊んできました。雨霧風でさんざんでしたがお花がきれい
でたのしかったです。
体力にあった登山ができることをのぞんでおります。
【8/8】FAC−ML 1966年夏 13期 愛甲勝久
(だからどうした、というどうでもよい述懐)
今日まで見直す事の無かった手帳の束を取り出して見ました。
7月23日土曜日 22:00第7アルプス 4:07。 22:35上高地 4:45。
23:00穂高 5:05.という記載があります。
このいずれかで松本に向ったはずです。夜行列車は6時間かけて新宿〜松本を
走っていたのですね。しかも記憶によれば「準急料金」が付加されていたと思
います。
24日 松本〜横尾。上高地までは松電を使用したかバス直行であったか記載
はありません。
25日 槍ヶ岳
26日 屏風の頭
27日 下山
たったこれだけのメモがこの手帳に記されていました。多分日記帖には同行者
や行動の詳細が記載されていると思いますが。
就職して2年目の夏のことでした。
この年もいろいろな事がありました。前年末から正月4日まで志賀高原のス
キー合宿。1月は岳温泉のスキー。倉石さん、伊井君、文挟さん(倉石夫人)
故藤原君、そして初めてスキーを履く会社の同僚が一緒でした。
3月には大きな航空機事故が相次ぎ、手帳の後ろの雑記欄には18期の諸氏の
進学先が書かれています。17期山本君の名があるのは一浪でしたか。5月に
は16期の田中礼三君がブラジルに発ちました。その寄宿先ポルト・アレグレ
の住所も書いてあります。
劇団四季が日生劇場で「アンドロマック」を上演。若かりし市原悦子と日下武
史の熱演、妖精ともてはやされた加賀まり子の「オンディーヌ」の舞台を思い
出します。吉川君にジンメルの書を薦められたのもこの頃でした。
中学の50周年記念同窓会誌に寄稿を依頼され、回顧モードに入っている時飯
田さんのメールを読み、38年前を探索してしまいました。
そういえばOB会にも中野十中の同窓生がいたはず。今回50周年を記念して
校歌を作曲した中村茂隆先生がオーケストラに編曲、CDを作成中です。私は
マザーCDをコピーしたものを手に入れました。これがなんとすべてPCデー
タ入力で作られたものとの事。私の耳では生の演奏と区別が出来ません。
サマーミーティングでお聞かせしましょう。作詞は当時国語科を担当していた
谷田(筆名・牟礼)慶子先生。この方は現代詩「荒地」の同人で近代女流詩人
全集に作品の多くが納められています。先年「折川信夫」の評論集で室生犀星
賞を受賞しています。