ヤマトタケルが弟橘媛を偲んで「あずまはや」と3度嘆いたという地点は、古事記では箱根足柄峠、 |
日本書紀では上信国境の碓日嶺となっている。 |
旧中山道碓氷峠の熊ノ神社近くにはこれに因んだ石碑があるが、この碓日嶺がどこであったのかは |
ここ以外にも幾つもの説がある。 |
最近、有力視されている往時の東山道ラインは入山峠越えであり、吾妻、嬬恋などの多くの地名と |
伝承で地元で語られているのは鳥居峠越えである。 |
そして、もうひとつ、主張する学者は少ないが、今回越えた矢ヶ崎峠から入山へのラインであると |
の説もある。 |
矢ヶ崎峠越えについては、地図上に道もなく、ガイド案内や登山記録を見ることができず、藪漕ぎ |
を楽しみに行ってみたが、古い峠道と稜線近くまで伸びた林道により容易に越えることができた。 |